等身大

23歳な毎日のちょっとした記録

何不自由ない、東京で生まれ育ったわたし

"ライター なり方" 検索でHITする助言 第一位

「ライターになりたいなら毎日記事を書け」

 

これを見るたびに「よし、今度こそは毎日ブログ書くぞ!」と決意するのだけど、

1日たりとも続いたことがないから、

もしかすると本当はライターにはなりたくないのかもしれない

 

でもなんだか、自分の表現をしている人に憧れて

わたしは歌も下手だし、

絵も下手だし、

なにか作るための材料集めもめんどくさがりだから、

毎回毎回、一番手軽な文章を書くことを選ぶ

 

「趣味が欲しい」

「自分の表現がしたい」

「フリーで仕事がしたい」

 

なんて心の中で思っているだけで、

本当に自分がなにをやりたいのかがわからない

 

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「東京はやりたいことが見つからない人が集まってきているのかな…」

地方から出てきたばかりの、友人の言葉

 

 

でも、本当にやりたいことがある人なんてきっと一握り。

それを声に出せる人がもっと一握り。

それを行動にできる人はもっともっと一握り。

 

きっと自分がやりたいことをやることは彼氏をつくるより、結婚するより難しい

 

でもきっと、

自分のやりたいことを見つけたい、と真に望んでいる人もあまりいなくて、

普通に楽しく暮らせればそれでいい、と思っている人もたくさんいる。

そういう人の方が多いのかもしれない

 

そうでもないのかな?

やっぱり他人のことなんてわからないや

 

少なくともその友人は、

なにかを求めて東京に出てきたはずなのに自分がなにをやりたいのかわからない、と真剣に悩んで、苦しんで、

おわりの見えない壁にぶつかっている。

 

きっと今ものすごく苦しいだろうけど、でも、そんな姿が素敵だな、って思う。

東京で生まれ育った私にはそのがむしゃらさがない

 

 

本当に私がやりたいことってなんだろう?

そして、そのためになにをしよう?

没個性

社会人になって、早10ヶ月

あと2ヶ月と少しで社会人1年目が終わる

 

人生で初めての社会人はあっという間で

予想以上に忙しかった

 

毎日会社に行って与えられたものをこなすのに必死だった

ときにはお局様たちからの小言に苦しみながら

ときには上司に褒められてにやにやしながら

 

毎日日報の提出を求められる中で

具体的な成長実感がなくて悩んだりもしたけど

そういう感情的な葛藤は自分の心の中に納めておいた

 

3ヶ月もするうちに会社の中にいる自分はどんどん自分らしさを失っていって

自分が仕事をしている感覚がなくなっていった

 

気づいたら自分は周りからの要望を忠実に再現する機械になっていて

自分自身の頭で何かを考える機能をすっかり失ってしまった

 

なにかが「できる」感覚が全くなくなってしまった中で

なぜ「できない」のかを聞かれて

なにもわからなくて

逃げ出したくなった

 

 

その日たまたま帰り際によった本屋さんで

「必ずできる」

の文字を見つけて、

ああ、最近求めていたのはこれだったんだって

単に自分のことを信じてあげられていなかったんだって

なんだかホッとした、ホッとして涙が出そうだった

 

できるようになるためのHOWでも

そのための援助でもなくて

単に後押ししてほしかっただけなんだ、

そう気づけた瞬間、肩の力がすっと抜けた

 

周りからの期待に応えられていない自分

自分自身への期待に応えられていない自分

 

「必ずできる」

そうだよね。

大丈夫、まだ頑張れる

 

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最近とても素敵な人に出会って

その人が紡ぎ出した言葉に救われた

 

私から見れば他人に向けたメッセージのように思えていた言葉は

その人から見ると自分の実体験と思いを書いているだけ

「自分のことしか書けないけど、それが誰かに届いているといいな」

 

そっか、それでいいんだ

なんだか救われたんだ

 

自己満足でもいいから書きたいと思った

自分の経験や感じたことしか書けないし

それが誰にも届いていないかもしれない、届いているかもしれない

でもそれでいい

 

所詮自己満足からのスタート

誕生日におもうこと

いつもと変わらないけど、たしかに23年前の今日、

わたしは生まれたらしい

 

生きていることが当たり前すぎて、

生まれる前後のことなんて自分じゃ知らないから、なんだか不思議な感覚。

…とりあえずハッピーバースデーわたし!

 

 

 

いつもと変わらない今日だけど、大事にしたい今日だ。

 

ただひとつ歳をとる日だけじゃなく、

ただプレゼントがもらえる日だけじゃなく、

ただ夕飯が豪華になる日だけじゃなく、

ただおめでとうって言ってもらえる日だけじゃなく。

今日いまここにいる奇跡を感じて、自分でポッとする日。

 

なんだか嬉しくなる日。

 

もう23かと思うけど、早かったと思うけど、

なんやかんやいろいろあったね。長かったね。

 

 

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わたしは、他の人の誕生日を大事にできない。

 

いつも「おめでとう」を言いそびれる。

まあでもいっかって思っている自分もいる。

 

親だろうが、

親友だろうが、

彼氏だろうが、

その人の人生を100%見ているのはその人だけだから。

その人が今までの人生で見てきたこと・感じてきたことをすべて知ることはできないから。

 

自分の100%を知っているのは自分だけ。

自分の歴史は、自分しか実感できない。

 

どんなに寄り添っても、

どんな考え方が近かったとしても、

自分の人生を生きてきたのは自分しかいない。

この地球上に70億人いても、わたしと一緒の人生のを歩んできた人は誰一人としていない。

 

70億分の1と言われてもぴんとこないけど、

なんだかとても尊いことな気がするんだ。

 

 

自分の誕生日が一番好き。

一番特別な日。

 

エゴかな。でもいいよね

親になったら変わるのかな

他責癖のある人は総じてモテないよねって結論

私が一瞬だけ好きになった人は、きっとどこか野田洋次郎に似ていた。

 

とてもこだわりが強くて

独特の世界観があって

最初はそれがとても魅力的に思ったのだけど

 

彼は洋次郎ではなかった。

 

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学歴でその人の全てを知ることはできないけれど、

学歴はその人を表すツールのひとつにはなると思う。

 

あくまで私の独断と偏見だが、

いわゆる "F欄" と言われる大学の人たちは、

なぜか自分に極度の自信を持っている人が多い気がする

(もちろんそうじゃない人もいるし、高学歴でもそういう人もいると思うけど)

 

やけに人のせいにしたり。

やけに自慢ばかりしたり。

 

自分に自信がないから大きく見せてるのかとも思ったけど、

多分そうでもなくて。

ただただ単純に自分を自分で評価した時にそうだと思っているんだと思う。

 

例えば、就活で面接に落ちた時の反省会。

「人事の人が自分をわかってくれなかった。

自分のことをわかってくれなかった企業になんか行く気もない」

 

そう答えが返ってきたことがあった。

うーーーん。。

きっと問題なのは君のその考え方なんだけどなあ。。

 

しかも、今までなにかのために行動を起こしたこともない割に、

大きな夢ばかり語りがち。

(すみません自分のこと棚上げで語ってます、、)

 

自分と周りの人を客観的に比較できない。

自分のやりたいことに固執する。

きっと自分には才能があると信じている。

 

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私が一瞬だけ好きになった彼は、まさにこういう考え方の人だった。

 

こだわりが強い。それはいい。

でもTPOを考えられない。

 

古着が好きなのはいい。オシャレだと思う。

でも2回目のデートでジャージにくしゃくしゃのシャツはないだろう。

しかも行先は表参道。前から決めてたはずだ。

 

入ったお店が美味しくなかったからといって、

それをわざわざ口に出す必要はないだろう。

君が行きたいといった映画で、

いびきをかいて寝るのはないだろう。

 

彼はとても自分に自信があった。

あまり名の知られていない大学でも、社会貢献性の高い勉強をしていると。

その中でオシャレ番長なんだと。

 

本当は音楽をやりたかったんだ。

将来は原宿にお店を構えたいんだ。

ファッションで仕事がしたいんだ。

 

…そっか。

…で?

 

君はそのためになにか努力をしたのか。しているのか。

 

「やりたかったんだ」

「でも周りが理解してくれないんだ」

 

 

頭のいい人はモテる。

気を遣えるからだ。

 

この時の”頭がいい”はきっと”地頭がいい”ってことで、

学歴に比例するわけではないけど、

学歴がいい人の方が地頭がいい人が多い気がする。

 

行動力がある人はモテる。

有言実行できるから。できなくても人のせいにしないから。

 

 

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友人が入社2ヶ月で会社を辞めた。

偏差値45の女子大卒。

バンドで生きていくそうだ。

会社が自分のことを理解してくれなかったらしい。

そして彼女はいつも、親はわたしのことを理解してくれていないと言う。

 

彼女のバンドはよくメンバーが変わる。

今も残っている初期メンバーは彼女一人のようだ。

彼女はメンバーを変えることで、そのバンド名をひたすら守ってきた。

 

 

これで彼女がバンドで成功したら土下座しよっと。

君の名は

美しかった。

 

涙は出なかった。

でも、「見てよかった」と思える映画だった。

 

映像・音楽・ストーリー

 

全てがギリギリの均衡を保ち、全てが透き通っていた。

沖縄の海のような、限りない透明感

 

音楽で全てを完璧に語りきってもいない。

でもたしかにRADWIMPSの音楽が「君の名は」の世界観を作っていた。

でもそこには美しさがあるだけで、ストーリーを乗っ取ってはいない。

ギリギリのところで全てがバランスを保っている。

 

そのギリギリ感がますます心を揺さぶってくる。

 

忘れちゃうもどかしさ

うまくかみ合わないもどかしさ

でも同じベクトルでお互いを探し続けていたから、最後は自分たちの力でお互いを見つけ出せた。

 

思い出せそうで思い出せない

ギリギリのところまで出かかっているのに、あと少しでわかりそうなのに

 

なにか強烈なメッセージがあるわけではない。

でもそれ以上に心の奥に残るなにかがある。

でもそれが何なのか今の私では表現できない。

 

107分はあっという間で

見終わったあとはまさに、夢から覚めたような感覚だった。

なにかものすごく大事なことをみていたようで、それがなにかわからないモヤモヤ感。

 

今すぐもう一度見たいとは思わない。

だけど、また半年後か1年後に、家でゆっくり見たい。

 

 

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この映画が公開されたとき、私はこの作品に微塵も興味が持てなかった。

 

そんな私の興味なんて関係なく、

「君の名は」は瞬く間に社会現象となり、

私の周りみんながこの作品のために映画館へ足を運び、

「最高だった!見てないなんてありえない!」と私に言った。

 

聖地巡礼の写真をみんながみんなInstagramにアップし、

Twitterでは何回見に行ったかを競い合うように投稿していた。

 

この作品が単なるタイムリープ物だと思っていた私はどうしても興味が持てなくて、

何がそこまでみんなをそうさせるのか、全くわからなかった。

 

ふと気が向いた今、

公開してから約10ヶ月、ようやく見に行った。

 

この取り憑かれたような感覚の在り処を探し求めて

みんなが足繁く映画館や四谷へ通っていたのだとしたら、

なんだかその気持ちがわかるような気がする。

 

もっと早くに見ればよかったとも思わない。

でも、今見れて、この作品に出会えてよかった。