どうでもいい毎日

つまらない22歳な毎日

連日どうでもいい報道が続いている

 

まだ公表されていないときから裏取りのために

多くの報道陣が家の周りを囲んだらしい

 

ブログで「察してください、だから帰ってください」の更新

 

どんだけ苦しかっただろう

憎かっただろう

 

 

私の母は海老蔵さんも麻央さんも嫌いだと言う

 

ビジネスのように感じると言う

 

わからなくもない

 

でも

ただ

これだけ強く

死の恐怖を常に脇に抱えながら

受け入れるでもなく恐怖を全面に押し出すでもなく

その記録をブログという形で残すことはなかなかできることじゃないと思う

 

母だからとか

 

母だとしてもこれだけ世に自分のありのままを残せる人はいないと思う

 

これだけ多くの人を

 

勇気付けるとかじゃなくて

 

これだけ多くの人を悲しませる人はいないと思う

 

悲しい

 

ただただ悲しい

 

とても綺麗で

美しくて

会ったこともないし見たこともないし

この世に本当に存在したのかも信じられないほど

 

女子アナとして華々しい世界で活躍して

歌舞伎役者の妻として

市川海老蔵の妻として

華々しい世界にいた彼女が突然

 

到底受け入れられない病を突きつけられて

どんな思いがあったのだろう

 

彼女のブログを海老蔵さんはどんな思いで読むのだろう

 

10年後、20年後

彼女の子供たちはどんな思いで、あのブログを読むのだろう

 

彼女の死は決して美談なんかではなく

死は死なのだ

 

亡くなったのだ

 

死とはこういうものだ

 

周りの人が語ることのできない

 

 

想像することさえできない痛みがあっただろう

苦しみも悔しさもあっただろう

どうか今は、ゆっくり休んでください

 

 

 

少しでも早く

彼女に

彼女の周りの人々に

安らぎが訪れますように

 

 

それにしても34歳は

いくらなんでも早すぎるよ

 

なぜ彼女はそんなに早く

逝かなければならなかったの

誕生日

いつもと変わらないけど

たしかに23年前の今日

わたしは生まれたんだよなあ

 

生きていることが当たり前すぎて

生まれる前の自分を知らないから

なんだか不思議

 

前なんかの本で読んだけど

9月生まれの人はクリスマス前後なんだよね、たしか

つまりわたしは…

 

なんかロマンチックだ笑

 

いつもと変わらない今日だけど

大事にしたい今日だ

 

ただひとつ歳をとる日じゃなく

ただプレゼントがもらえる日じゃなく

ただ夕飯が豪華になる日じゃなく

ただおめでとうって言ってもらえる日じゃなく

 

今日いまここにいる奇跡を感じてポッとする日

幸せに感謝とかって意味ではなく

なんだか嬉しくなる日

 

もう23かと思うけど

早かったと思うけど

ほんと小さい赤ん坊の時から

小学校行って受験して

中学高校大学…そして就職

 

長かったね

いろいろあったね

 

他の人の誕生日を大事にできない

いつもおめでとうを言うのを忘れちゃう

まあいっかって思っちゃう

 

親だろうが、親友だろうが、彼氏だろうが

その人の人生を100%見ているのはその人だけだから

他の人の人生をずっと一緒にいて、心の中を知ることは絶対にできないから

 

自分の100%を知っているのは自分だけ

自分の誕生日は自分しかポッてできない

 

どんなに寄り添っても

どんな考え方が近かったとしても

自分の人生を生きてきたのは自分しかいない

70億人いても、わたしと一緒の人生の人は誰一人としていない

 

なんだかとても尊いことな気がするんだ

70億分の1と言われてもぴんとこないけど

とてつもないほどたくさんの人がいて、その中でわたしってわたしなんだってなんだか感じるんだ

 

自分の誕生日が一番好き

一番特別な日

 

エゴかな

でもいいよね

 

親になったら変わるのかな

すり減らした日曜日

わたしは今日、明日から生きていく活力を得られたのだろうか。

 

家を出たとき、とてもワクワクしていた。

幸せだった。

なにかとても素敵なことをしている気分だった。

 

自分のためにおしゃれして。

自分がずっと楽しみにしていたことをする。

 

でも電車に乗って

渋谷が近づけば近づくほど心が苦しくなり

 

不安になり

 

映画館に向かう途中も、

まっすぐに向かうことができなかった

 

周りから隠れるように

 

見られてるんじゃないか怖くて

 

今後ろを歩いている二人はこのあと角を曲がったらわたしの話をするんじゃないかとか

 

映画もおもしろかったけど

元気がでるとか

希望を見つけるとか

特にそういうこともなくて

 

ただただ体力をすり減らした感覚

 

胃をぎゅって握られている感覚

 

ちょっと前まで渋谷は大好きな場所だったはずなのに

 

今は苦しくてしょうがない

 

ああ

 

責められている感覚

 

ひとりぼっちを突きつけられる

 

ひとりでいちゃいけない

 

そう言われている気がして

 

頭がいたい

 

 

わたしは何をしたら幸せになれるの

他責癖のある人は総じてモテないよねって結論

私が一瞬だけ好きになった人は、きっとどこか野田洋次郎に似ていた。

 

とてもこだわりが強くて

独特の世界観があって

最初はそれがとても魅力的に思ったのだけど

 

彼は洋次郎ではなく、少し馬鹿だった。

 

学歴で人を判断するのは良くないと思うけど

学歴は人を表す一つのツールになると思う。

 

いわゆるF欄と言われる大学の人たちは、なぜか自分に極度の自信を持っている人が多い気がする。

もちろんそうじゃない人もいるけど。

 

やけに人のせいにしたり

やけに自慢ばかりしたり

 

自分に自信がないから大きく見せてるのかとも思ったけど、多分そうでもなくて。

ただただ単純に自分に非はないと思っているんだと思う

 

例えば就活の面接でやけに落ちまくる子になんでダメだったんだろうね?ときいたとき

 早慶上智とかの子だと「自分のこういうところがダメだった、こういうところが企業とあってなかったから企業分析が足りてなかった」という会話ができるんだけど、

 いわゆるF欄の子に「人事の人が自分をわかってくれなかった、自分のことをわかってくれなかった企業になんか行く気もない」と言われたことがあった。

かなり衝撃だった。

 

いや、きっと問題なのは君のその考え方とそのもそもそした意思のない話し方だよっと言いそうになった。

しかもこういう子に限って大きな夢ばかり語るのだ。

今までなにかのために行動を起こしたこともない、できなかったくせに。

 

自分と周りの人を客観的に比較できない。

自分のやりたいことに固執する。

きっと自分には才能があると信じている。

 

 

私が一瞬だけ好きになった彼は、まさにこういう考え方の人だった。

 

めちゃくちゃこだわり強い。それはいい。でもTPOを考えられない。

古着が好きなのはいい。オシャレだと思う。

でも2回目のデートでジャージにくしゃくしゃのシャツはないだろう。

しかも表参道に行く予定もあったのに。

入ったお店が美味しくなかったからといって、それをわざわざ口に出す必要はないだろう。

君が行きたいといった映画で、いびきをかいて寝るのはないだろう。

 

彼はとても自分に自信があった。

あまり名の知られていない大学でも、社会貢献性の高い勉強をしていると。

その中でオシャレ番長なんだと。

 

本当は音楽をやりたかったんだ。

将来は原宿にお店を構えたいんだ。

ファッションで仕事がしたいんだ。

 

そっか。

 

で?

 

君はそのためになにか努力をしたのか。しているのか。

 

「やりたかったんだ」

「でも周りが理解してくれないんだ」

 

 

頭のいい人はモテる。

気を遣えるからだ。

 

この時の”頭がいい”はきっと”地頭がいい”ってことで、

学歴に比例するわけではないけど、

学歴がいい人の方が地頭がいい人が多い気がする。

 

行動力がある人はモテる。

有言実行できるから。できなくても人のせいにしないから。

 

 

 

友人が入社2ヶ月で会社を辞めた。

偏差値45の女子大卒。

バンドで生きていくそうだ。

会社が自分のことを理解してくれなかったらしい。

そして彼女はいつも、親はわたしのことを理解してくれていないと言う。

 

彼女のバンドはよくメンバーが変わる。

今も残っている初期メンバーは彼女一人のようだ。

彼女はメンバーを変えることで、そのバンド名をひたすら守ってきた。

 

あまり遠くない未来でなにか彼女に変化が訪れて、バンドが成功していますように。

君の名は

美しかった。

 

涙は出なかった。

でも、「見てよかった」と思える映画だった。

 

映像・音楽・ストーリー

 

全てがギリギリの均衡を保ち、全てが透き通っていた。

沖縄の海のような、限りない透明感

 

音楽で全てを完璧に語りきってもいない。

でもたしかにRADWIMPSの音楽が「君の名は」の世界観を作っていた。

でもそこには美しさがあるだけで、ストーリーを乗っ取ってはいない。

ギリギリのところで全てがバランスを保っている。

 

そのギリギリ感がますます心を揺さぶってくる。

 

忘れちゃうもどかしさ

うまくかみ合わないもどかしさ

でも同じベクトルでお互いを探し続けていたから、最後は自分たちの力でお互いを見つけ出せた。

 

思い出せそうで思い出せない

ギリギリのところまで出かかっているのに、あと少しでわかりそうなのに

 

なにか強烈なメッセージがあるわけではない。

でもそれ以上に心の奥に残るなにかがある。

でもそれが何なのか今の私では表現できない。

 

107分はあっという間で

見終わったあとはまさに、夢から覚めたような感覚だった。

なにかものすごく大事なことをみていたようで、それがなにかわからないモヤモヤ感。

 

今すぐもう一度見たいとは思わない。

だけど、また半年後か1年後に、家でゆっくり見たい。

 

 

---------------------- 

 

この映画が公開されたとき、私はこの作品に微塵も興味が持てなかった。

 

そんな私の興味なんて関係なく、

「君の名は」は瞬く間に社会現象となり、

私の周りみんながこの作品のために映画館へ足を運び、

「最高だった!見てないなんてありえない!」と私に言った。

 

聖地巡礼の写真をみんながみんなInstagramにアップし、

Twitterでは何回見に行ったかを競い合うように投稿していた。

 

この作品が単なるタイムリープ物だと思っていた私はどうしても興味が持てなくて、

何がそこまでみんなをそうさせるのか、全くわからなかった。

 

ふと気が向いた今、

公開してから約10ヶ月、ようやく見に行った。

 

この取り憑かれたような感覚の在り処を探し求めて

みんなが足繁く映画館や四谷へ通っていたのだとしたら、

なんだかその気持ちがわかるような気がする。

 

もっと早くに見ればよかったとも思わない。

でも、今見れて、この作品に出会えてよかった。